正確には、ジョニーと呼ばれている。
俺には、はっきりとした記憶がない。気がついた時には、河原にいた。
高知県の 中央西部を流れる川、仁淀川という川の河原だ。
俺は自分探しの旅に出かける。いの町、高知県の旅だ。
茶なんかすすってないで、さっさと出かけたら?
一服したら出かけるか |
気がついたら俺はこの、高知県の仁淀川の河原にいたんだ。
ここは、高知県吾川郡いの町。
ゴールデンウィークの頃には、「紙のこいのぼり」がこの仁淀川に泳ぐ、というイベントをやっている河原だ。
いの町の河原の公園 |
いの町は、高知県の製紙の中心地、だった
江戸時代、紙すきの技術が確立され、製紙は土佐藩の特産品として保護された。紙漉きの技術はその家その家で代々長男が継いで、技術をつなげながらも、他に漏れないようにしていたという。
やがて紙漉きから、製紙工場へと変わった。
いの町の街中にたくさんの製紙工場があったが、今では、隣の日高村や、土佐市へと出て行っている。
高知市春野町にある、ニッポン高度紙(この会社は、コンデンサーの巻紙の世界シェアの60%くらいを誇った)もこの、いの町にあった。
まだいくつかの紙工場はいの町の中に残っている市街地の中に残っている。
いの町は、神の街でもあった。
いの町の町の西の外れのほうには、「いのの大黒様」と呼ばれる、高知県ではわりと有名な「杉本神社」という名で呼ばれている。
昭和の初めのころには「いのの大黒様」のお祭りの時には、臨時の電車が走ったということもあったようである。
JR 伊野駅と路面電車(旧土佐電鉄、現とさでん交通)のいの駅がある。
そこから町を通っていのの大黒さんまで歩いて行くことができる。
それほど流行った街だから、駅から、いのの大黒様に向かう商店街はにぎわったようである。
ジョニーは、JR伊野駅にやってきた。
平成の大合併のころ、本川村、吾北町、伊野町が合併し、「いの町」になった。ただJRの駅はいまだに「伊野駅」と漢字表示が使われている。
・・・ジョニーがなにか、思いだしたようだ・・・
「いの町から、高知市にいくのに、便利なのはJRだったっけ?路面電車だったっけ?」
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ちょっと歩いて、今日の体重87.5 kg by Johnny
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ジョニーの旅 高知県の旅ダイエット編
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